データが示す「異常」を前に、専門家は何を守ろうとしているのか

もし、目の前で起きている明らかな異常を指摘したとき、専門家から「あなたの理解が不十分です。もっと統計を勉強してください」と返されたら、あなたはどう感じるでしょうか。

専門用語、権威ある肩書き、そして「国家検定」という制度的な裏付け。それらを使って守ろうとしているものは、果たして「人々の安全」なのか、それとも「自分たちが信じてきたシステムの正当性」なのか。

今回は、前回お伝えしたコロナワクチンのロット別にみた重篤な有害事象報告率のばらつきの記事に対して、ある薬剤師から寄せられた反論を検証します。このやり取りは、現代の専門家が無意識に陥る「思考の罠」を明確に示しているように思われます。

専門家の主張:「変数の補正が不可欠」

薬剤師からの主な反論は以下の通りでした。

  • 論文に書かれた「現象の断片」だけを切り取り、自身の信じたい物語に繋げることは、科学的態度ではなく「情報の恣意的な利用」である
  • 『3つのクラスター(報告数の差)』という現象を『品質の差』と直結させるには、統計学上、絶対に無視できない『接種対象の属性(年齢や背景疾患)』という変数の補正が不可欠
  • 著者が論文内で『因果関係は不明』と明記しているのは、『そのデータからは品質の差を証明しきれない』という誠実な限界の表明である

これらは一見、科学的に妥当な指摘のように見えます。確かに観察研究において、交絡因子の補正は重要です。しかし、ここには見過ごせない問題があります。

論文は既に検証している

まず確認すべき事実があります。私は前回記事で、『こうした「ロット間の差」と内部告発の内容との関係については、現時点では科学的に公式な検証がなされたものではありませんが、現場から聞こえてくる声と、この論文が示した統計データには、驚くべき共通点が見て取れます』と記述しており、因果関係を断定していません。

また、「危険なワクチンと安全なワクチンが3種類ある」とも主張していません。観察された統計的な異常を、論文の範囲内で紹介したに過ぎません。

そこで、論文データを改めて提示し、反論しました。

Batch-dependent safety of the BNT162b2 mRNA COVID-19 vaccine

図を見れば、説明は不要ではないでしょうか。年齢や既往歴が原因なら、データは『一つの塊』になります。しかし現実は『3つの階級』に分断されています。これは『接種者の属性』ではなく『製品(ロット)の属性』に差があることを示す、動かぬ数学的証拠です。

3群間の差は p<0.0001 と極めて有意であり、ロット間に差が存在しないとする仮説は、観察データとは強く矛盾しています。

(※この「動かぬ数学的証拠」という表現は、統計学的には強すぎる言い方でした。正確には「製品の差を強く示唆する統計的証拠」と言うべきでした。以下で詳しく説明します。)

(※統計学的に厳密に言えば、p値は「その差が偶然生じる確率」ではなく、「帰無仮説(ロット間に差がない)が正しいと仮定した場合に、観測された差またはそれ以上の差が生じる確率」を示します。しかし、p < 0.0001という値は、ロット間に差が存在しないという仮説と観測データとの間に極めて大きな矛盾があることを意味しており、単なる個体差や報告バイアスといった既知の要因だけでこの規模の差を説明することは極めて困難です。)

また、「製品(ロット)の属性」という表現についても補足が必要でしょう。

理論上は、製造、充填、保管、輸送、管理の流れの中のどこかに問題があった可能性を否定できません。

しかし、製造以外の原因(保管・輸送トラブル)で、重篤な有害事象(SAE)報告率が数十倍〜数百倍に分かれ、しかも明確に3群に分離するという現象は、現実的な製造・流通の知見から見て、極めて説明困難です。

その理由は以下の通りです:

mRNAワクチンの特性から

mRNAワクチンの保管・輸送トラブルで想定されるのは、mRNAの分解による有効性の低下と免疫反応の弱化です。重篤な有害事象の系統的かつ大幅な増加ではありません。つまり、「効かないロット」が増えるだけです。

統計的パターンから

流通・保管トラブルは個別のケースごとに発生するため、「連続的なばらつき」を生じさせます。明確に分断された3つのクラスターという非連続的なパターンになることは考えにくいです。

システムの厳格さから

薬剤師が強調するGMP(医薬品製造管理基準)・国家検定・コールドチェーン(低温物流管理)は、まさにロット間差・流通差を極限まで減らすために存在するシステムです。

これらのシステムが正常に機能している前提で、「あるロットはSAEが極端に多く、あるロットはほぼゼロ」という結果が生じたのであれば、現実的に考えうる可能性は以下のいずれかです:

  1. 品質管理システムが想定どおり機能していなかった
  2. 出荷時点でロット間に何らかの差が存在していた

いずれにせよ、この統計的異常は、さらなる調査が必要な重大なシグナルです。

専門家の反論パターン①:変数論の繰り返し

これに対する薬剤師の反論は次の通りでした。

  • 統計上の変数考慮の欠落について、論理的に回答できていない。それができない限り3本の線の説得力がない
  • 「年齢や既往歴が原因なら一つの塊になるはずだ」というのが最大の誤り。医療リソースは「均一」に配分されない。初期の特定ロットが「超高齢者施設」や「重症化リスクの高い医療従事者」に集中して配分されれば、そのロット群の報告率だけが跳ね上がる
  • p値は「差があるか」を示す指標であって、「なぜ差があるか(因果関係)」を説明するものではない。「極めて有意」という表現は不適切で、統計の基礎知識の欠落が伺える
  • 科学における「不明」は「現時点のデータでは結論を出せない(=証拠として不十分)」という不合格通知である

ここで注目すべきは、薬剤師の主張の構造です。「変数の補正が必要だ」という原則論を繰り返すことで、具体的なデータの検証から議論を遠ざけています。

しかし、論文の著者は実際にこれらの変数を検証しています。

データが示す事実

論文の重要な検証結果:

高齢者の分布について

  • 70歳以上の割合:重篤な有害事象(SAE)が高頻度のロット(青)= 21%
  • 70歳以上の割合:SAE報告がほぼゼロの低頻度ロット(黄)= 27%

つまり、高齢者の割合が高いロットの方が、SAE報告率は低かったのです。これは「高齢者が多いからSAEが多い」という薬剤師の主張と矛盾する観察事実です。

医療従事者の報告バイアスについて

もし「医療従事者は報告感度が高いから」という理由でSAEが多く報告されたのであれば、以下の疑問に答える必要があります:

  1. なぜ初期ロットでのみ報告感度が跳ね上がったのか
  2. なぜ後期ロットで一斉に報告感度が低下したのか
  3. 同じ医療従事者が担当していたにもかかわらず、報告率が数十倍〜数百倍も変動する合理的な説明は何か

報告バイアスは確かに存在します。しかし、この規模の差を説明するには、医療従事者の行動に極めて不自然な変化があったことを仮定する必要があります。

観察研究の限界と本論文の意義

ここで改めて強調しておきます。この論文は観察研究であり、因果関係を証明するものではありません。著者自身も「因果関係は不明」と明記しています。

しかし、観察研究の役割は「仮説を提示し、さらなる調査の必要性を示すこと」です。p < 0.0001という極めて稀な統計的パターンが観測されたということは、それ自体が「何か異常なことが起きている可能性がある」という重要なシグナルです。

この段階で求められるのは、「因果関係の証明」ではなく、「この異常なパターンをどう解釈すべきか、さらにどのような調査が必要か」という建設的な議論のはずです。

専門家の反論パターン②:物的証拠の要求と無視

薬剤師は次のように述べました。

『成分の濃度や不純物の有無』という製品自体の瑕疵を疑うのであれば、有害事象の統計という外部変数に左右されすぎる間接的なデータをこねくり回すのではなく、確実な物的証拠が必要である。日本では全ロットで行う国家検定をパスしないと出荷できない。

これに対し、私はコロナワクチンから未申告の化学元素が検出されたという査読済み論文を提示しました。

At Least 55 Undeclared Chemical Elements Found in COVID-19 Vaccines

この論文の信頼性については議論の余地があるかもしれません。しかし、「物的証拠を出せ」と要求しながら、提示された証拠に対して一切の検討も反論もせず無視する態度は、建設的な議論とは言えません。

少なくとも「この論文は信頼性が低い」「この手法には問題がある」といった具体的な批判があって然るべきです。

国家検定は「成分が均一で有害な不純物がないこと」を保証するための制度ではないのでしょうか。検定をパスしたことを根拠に安全性を主張しながら、実際に不純物が検出されたという報告を一顧だにしない態度は、論理的一貫性を欠いています。

専門家の反論パターン③:論点のすり替え

医療従事者に関する議論で、興味深い変化がありました。

最初の主張:「重症化リスクの高い医療従事者」に初期ロットが配分された

私の指摘後:「医療従事者の健康状態の話ではなく、専門知識を持つ層は報告の感度が極めて高いという統計上のバイアス(ノイズ)の話だ」

医療従事者は一般的に健康な労働者です。もし「医療従事者が接種したから重篤な有害事象が増えた」のであれば、それは「そのロットが健康な現役世代にも深刻な影響を与えた」ことを意味します。

指摘を受けて、薬剤師は「重症化リスク」から「報告感度」へと論点を移動させました。しかし、これは当初の主張とは明らかに異なる説明です。

思考パターンの分析:専門家が陥る罠

この一連のやり取りから見えてくる、専門家特有の思考パターンがあります。

1. システム絶対主義

薬剤師は当初、GMPや国家検定の厳格さを強調し、「意図的に何かを混入させるには、数千人のプロと自動化された監視システムが完璧に共謀し続けている必要がある」と述べました。

(※ GMP(医薬品製造管理基準)とは、医薬品の製造工程を厳格に管理・記録し、品質を保証するための国際基準です。)

しかし、未申告の化学元素が検出されたという証拠を提示すると、「国家検定が万能だとは言っていない」と主張を変更しました。

これは論理的な矛盾です。万能ではないと認めながら、システムの不備を具体的に示唆するデータには「物的証拠が必要」と要求し、証拠を提示すれば無視する。この循環論法は、実質的に「システムに不備がある可能性」を1mmも認めない態度です。

2. 統計用語による煙幕

「単変量」「多変量」「交絡因子」といった専門用語を多用することで、議論の焦点をぼかす手法が繰り返されました。

しかし重要なのは、論文の著者自身がこれらの変数を検証した上で、それでも説明のつかない巨大な差(p < 0.0001)が存在することを示している点です。

「多変量解析が必要だ」という主張は、原則としては正しいものの、現実に存在する巨大な効果量を前にすれば、それを完全に打ち消すほどの交絡因子を想定することは困難です。

3. 著者の意図の恣意的解釈

著者が「因果関係は不明」と記述したことについて、薬剤師は「証拠として不十分という不合格通知」と解釈しました。

しかし、これは科学的誠実さの誤解です。観察研究において「因果関係は不明」と記述するのは、限定的なデータから確定的な結論を避ける謙虚さの表れです。著者は「統計学上の巨大なシグナル」を提示し、さらなる調査の必要性を示唆しています。

これを「無視して良い」という意味に読み替えることは、著者の意図を歪曲しています。

4. 「完全な証明」の要求による回避

統計学には構造的な特徴があります。それは「何かを完全に否定することは極めて困難」という点です。

薬剤師の論理パターンを整理すると:

  • 「ロット間の差は、理論上は配分の偏りで説明できる可能性が残る」
  • 「医療従事者の報告感度という要因を完全には排除できていない」
  • 「多変量解析が不十分である」

これらは、「あなたの説明が間違っている」と主張しているのではありません。「あなたの説明以外の可能性が完全に排除されていない」と指摘しているのです。

この論法には形式的な正当性があります。科学において、ある仮説を採用するには、他の可能性を完全に排除する必要がある――これは原則として正しい姿勢です。

しかし、この原則を極端に適用すると、どんなに強力なシグナルも「理論上の可能性が残る」という理由で無視できることになります。

論文著者が示したp < 0.0001という値は、「ロット間に差がない」という仮説と観測データが極めて強く矛盾することを示しています。配分の偏りや報告バイアスでこれを説明しようとすると、それ自体が極めて不自然な状況(初期だけ高齢者施設に集中配分、後期に医療従事者が一斉に報告を怠る等)を想定する必要があります。

「完全に排除できていない」という基準を厳密に適用すれば、既知の要因による説明も同様に「完全には証明できていない」はずです。

しかし、薬剤師は既存システム側の説明には「完全な証明」を求めず、新しい可能性(製品の差)にのみ「完全な証明」を要求しています。これは科学的公平性の観点から問題があります。

なぜ専門家はデータを直視できないのか

この薬剤師が意図的に真実を隠蔽しようとしているとは考えていません。むしろ、善意の専門家が陥る構造的な問題があるのではないでしょうか。

専門家は、長年の教育と実務を通じて、既存のシステムの中で正しさを判断する訓練を受けています。そのシステムが機能していることを前提に、日々の業務が成立しています。

したがって、システムの根幹を揺るがすようなデータが現れたとき、それを「受け入れる」のではなく、「説明する(説明し去る)」ことに意識が向きます。データそのものと向き合うのではなく、「データをシステムの枠内に収める方法」を探してしまうのです。

統計学は何のためにあるのか

最後に、薬剤師は繰り返し「統計を勉強してください」と述べました。

しかし、統計学の本来の役割は何でしょうか。

統計学は、専門用語で一般の人々を黙らせるためにあるのではありません。データの背後に隠された真実を明らかにし、仮説を検証し、既存の理解を更新するためにあります。

p < 0.0001 という数値は、「帰無仮説(ロット間に差がない)が正しいと仮定した場合に、これほどの差が観測される確率が極めて低い」ことを意味します。これは、製造過程を含む複数の可能性を真剣に検討すべき強力なシグナルです。

「分布に差があるだけ」という表現で、この巨大な異常を矮小化することは、統計学の本質的な役割を見失っています。

結論:問うべきは「誰が正しいか」ではなく「何が事実か」

この論争で明らかになったのは、個人の善悪ではなく、システムを疑うことを禁じられた専門家という構造的な問題です。

専門家にとって、データは「解析の対象」ではなく、「既存の結論を補強する材料」になってしまうことがあります。物的証拠を前にしても、統計学的議論に終始し、既存システムの正当性を守ることが優先されます。

その姿は、新しい事実を検証するというよりも、既存の理解の枠組みを守ることに重点が置かれているように見えます。

専門知識は、真実を照らすための「光」であるべきです。不都合な事実を覆い隠すための「布」であってはなりません。

私たちが問うべきは、「専門家が何と言っているか」ではなく、「データが何を示しているか」です。

そして、統計学的に極めて稀な現象が観測されたとき、それを「変数の問題」として片付けるのではなく、その現象の背後にある可能性を真摯に検討する姿勢こそが、科学的態度ではないでしょうか。

皆さんはどう考えられますか?