苦難に見舞われたときに、不平不満を抱いて終わるのか、成長の糧にするのか。

以前の記事の中で、「神様に裁かれました。」と何度か書いたので、もしかしたら、裁かれるのは嫌だからキリスト教は嫌だとか、神様を信じるのはやめておこうと思う人がいるかもしれないと思ったので、今回は「裁き」は悪いものではないということをお伝えしたいと思います。

神様がどうして裁かれるのかということは、RAPT氏が御言葉の中で詳しく伝えてくださっていますが、それは、人類を救うためであったり、義人を悪人から守るためであったり、悪を滅ぼすためであったりと、時と場合に応じて様々な理由があることを知りました。

私は30代後半まで俗的な生き方をしてきたので、神様の考えとは程遠い考えが頭にこびりついていています。

それでも、神様、RAPT氏は、「誰でも神様のようになれる。誰でも世界を変えられる。」と仰ってくださっているので、素直に「そうなりたいです。」とお祈りしています。

キリストの次元がどれほど高いか、考えもせずに祈り始めたわけですが、それはそれは遥かな高みです。

その祈りを聞いてくださって、もっと頑張れとビシビシ鍛えて下さったのか、裁かれたときには「なんでそうなった?」と思うことも、振り返ってみると、それは私の罪や間違った考えが原因であり、その間違いを糺すためにも、私自身の救いと成長のためにも必要だったことが分かります。

もちろん、裁かれないように、また罰を受けないようにすることが大事なのですが、罪を克服する実力がなかったので仕方がありません(開き直ってはいけないのですが)。

ただ強がるわけではないのですが、そのような状況の中でも、信仰生活をしていると祝福・恵みのほうが多く、大きいと思います。まだ何も結果を出せておらず、何ら神様にお返しできていないと思うのですが、知識やアイデア、その他、色々と頂いています。

そもそも、聖書に「いったいあなたの持っているもので、いただかなかったものがあるでしょうか。(コリントの信徒への手紙 1:4.7)」と書いてあって、目に見えるものも見えないものも、全部いただいたものですから、神様からはいただいてばかりなのですが。

艱難苦難があったときに、不平不満を抱いて終わるのか、自分の成長の糧にするのかは、人それぞれだと思いますが、神様を信じている限り、どんなことがあっても全てを益にすることができるとRAPT氏は仰っていますし、実際RAPT氏の人生はそのようになっています。

イルミナティ・悪魔崇拝者は、キリスト教のイメージを破壊して、人類が神様を信じないように、神様から祝福を受けられないようにし、人類を不幸のどん底に叩き落してきました。

キリスト教のイメージを破壊してきた中国共産党 実際のキリスト教はどこまでも豊かに生きられる秘訣で満ち満ちている!!(十二弟子・KAWATAさんの証)

日本は、世界で中国に次いで『無神論者』が多い国 中共の工作により、キリスト教に対して悪いイメージを植え付けられ、不幸になった日本人(十二弟子・ミナさんの証)

しかし、本当のキリスト教は、どこまでも恵み深いもので、人類を幸せにしてくれるものだということを、RAPTブログを読んで知ることができました。

RAPT氏は、「神様に頼らない者は一しか与えられず、神様に頼る者は無限に与えられる。」と仰っています。

また、「成長すればサタンに無限に差をつけることができる。」とも仰っています。

私もそのようになって、サタンや悪魔崇拝者(イルミナティ)をこの足で踏みつけて、神様の心をすっきりとして差し上げられるようになりたいと思います。

この世から悪が滅び去りますように、これからさらに沢山の人が、RAPT氏を通して神様のことを学び、神様のことを正しく知り、神様を愛して神様から祝福を受けて幸せに生きられますように。

一人一人が悪魔の誘惑に打ち勝つことが、この世界を変えることになります。先ずは自分のためにお祈りしてみてください。

すぐに「できない、できない」と言う人は謙虚なのではなく、自信がないわけでもない。むしろ高慢なのである。

RAPT有料記事48(2016年3月7日)途中で諦めるな。途中で中断するな。最後まで行いなさい。

RAPT有料記事138(2017年1月16日)私たち人間は限りなく聖三位に似た者になることができる。

RAPT有料記事143(2017年2月4日)自分で勝手に自分の限界を定めるな。誰でも世界的な人物になれる。

RAPT有料記事216(2017年10月16日)神様に頼らない者は一しか与えられず、神様に頼る者は無限に与えられる。

RAPT有料記事235(2017年12月23日)互いに求め合う愛ではなく、互いに与え合う愛で愛し合いなさい。

RAPT有料記事267(2018年4月14日)主から導き育てられる人は、人生に意味のないことが起きることがなく、良いことも悪いことも全てを益にして生きることができる。